料理することは「依存体質から脱却する」ことにもなる。
そんな考察を展開しているのが『人間は料理する』という本です。
買ってくれば済むものを、わざわざ作る理由は何なのか?
料理に限らず、モノづくり、手づくり全般に通じる考察です。
火、水、空気、土、料理を4元素で解説しているのも面白く感じました。
なぜ料理するのか?

人間と獣との違いは料理をするという点。
料理することで、人間は進化してきたと言われています。
料理によって栄養価が高まり消化しやすくなったものを食べるようになると、人類の脳は大きくなり、(脳は多くのエネルギーを必要とする)胃腸は小さくなった。生の食物は、咀嚼と消化により多くの時間とエネルギーを要するので、霊長類は、体のサイズは人類と同じでも、消化管が長く、咀嚼に多くの時間ー日に6時間もを費やす。
『人間は料理する』
採取した食物を調理することで、人間は「時間の余裕」を手に入れました。
そして工夫して調理することで、脳も発達したということです。
【自然と人間の関り】
現代社会では、自然を身近に感じる機会は少なくなりました。
本の著者は、こんな風に書いています。
日常生活の中で、どうすれば自然界と人間の役割をより深く理解することができるだろう?
この本の著者が目を付けたのは「料理」という日常生活でした。
そしてわたしは気づいたのだ。これらの問いと向き合うために森へ出かけるのもよいが、ただキッチンへ行くだけで答えが見つかるということに。
確かに料理で扱う「食材」は自然素材そのものです。
【食生活と産業の関り】
現代社会の食生活は、産業と深く関わっています。
食品加工業者や外食産業によって作られた食品を食べる機会が多いからです。
自分で料理をする人は少なくなっています。
料理するための時間を産業界にまかせることで、人々は自由な時間を得ました。
そうして得た時間で、自然を求めて外へ出かけているのです。
【社会生活と個人生活の関り】
社会生活を送る上では、料理などの家事に時間を費やすことは無駄。
そんなことは他人に任せれば、仕事や趣味に使う時間が増えます。
皮肉なことに、多くの人が食品加工業や外食産業で働いているのが現状です。
自分や家族のためには料理しなくなり、他人のための食料を作っています。
それなら自分や家族のために料理をしてはどうか、という提案です。
この本では、料理を「火」「水」「空気」「土」4元素で解説しています。
料理における「火」「水」「空気」「土」

この本では、料理が火、水、空気、土の順に進化してきたと解説しています。
料理に「火」と「水」を使うというのは、すぐ理解できます。
でも「空気」と「土」って何のことだろう?と興味が湧きました。
「空気」とは、パンを焼く前に発酵させ、空気で膨らませること。
「土」とは、微生物の働きによって発酵させること。
最初は焼く料理、土器を作り始めてからは煮る料理。
穀物を栽培してからのパン作り、偶然に発見した発酵による料理。
文化の発達によって料理も進化し続けてきたのです。
【焼く料理の代表バーベキュー】
バーキューの始まりは神へ生贄を捧げる儀式だといいます。
肉体を持たない神には、生贄を焼いて「煙」を上げる必要があったのです。
そして焼きあがった肉は人間がいただく。
そこから「火」を使った「料理」が始まりました。
【煮る料理を象徴する家庭の食卓】
土器などを作るようになってから、人間は「水」を利用できるようになりました。
そこから食物を「煮る」という調理法へと発達します。
儀式的な意味合いの「焼く」調理に対し、「煮る」料理は日常的な調理といえます。
シチュー、カレー、スープ。
じっくり時間をかけて煮込む料理は家庭を象徴します。
【空気で膨らませるパン】
穀物の種子を粉に轢き、水で溶いて、発酵させてから焼いたのがパンです。
パンというのは画期的な発明でした。
膨らませて大きくすることで、より多くの人に分け与えることができます。
空気で膨らませることによって、グッと食べやすく美味しくもなりました。
【微生物による発酵させた料理】
発酵という技術によって食文化は、さらに広がりました。
食材を発酵させることで味わいも栄養価も高まったからです。
酢、醤油、味噌、ピクルス、キムチ、お茶、チーズ。
東洋でも西洋でも、その土地の微生物を活用した発酵食品が作られてきました。
自ら作り出すという魔法

自然素材から何かを創り出すというのは魔法のようなもの。
そのことを実感できるのが料理です。
古代ギリシャでは、料理人、肉屋、聖職者を指す言葉はひとつーmageirosーで、その語源は「魔法(magic)」と同じである。
植物や動物という素材そのものを扱うのが料理。
火、水、空気、土、という自然そのものの力を使う魔法です。
【分業と専門化】
分業と専門化は人々にとって多くの恩恵をもたらしました。
面倒な作業は機械や専門家に任せておけるからです。
「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事が紹介されています。
「仕事を早々と終え、家に戻って料理をするよりも、オフィスで残業して自分の得意な仕事をし、料理は手ごろなレストランに任せておいたほうが人々は幸せなはずだ」
確かに生活は楽になったはずだけれど、仕事に拘束される時間は増えたと言えます。
【食の産業化】
加工食品や外食産業で「消費」するのが、専門家と合理化が進んだ社会での食文化。
家庭での生産活動を他の誰かに任せ、余った時間を消費に当てること
それが家事からの解放と自由をもたらしたと多くの人が信じています。
けれど食の産業化で、健康や環境への悪影響が指摘され始めました。
【依存的体質からの脱却】
この本の著者は「料理することが依存体質からの脱却」と述べています。
暇を見つけて料理を楽しむことは、私たちが起きている時間を全て消費させる機会と見なす企業に決別を宣言し、依存体質から脱却することなのである。ここでいう依存体質とは、家庭での生産活動を他の誰かに任せ、余った時間を消費に当てることだ。企業は、それを「家事から解放されて自由になること」だと言ってきた。
それは私たちの時間を「消費」に使わせようとする「企業」への依存から脱却すること。
料理や家事からの解放を謳ってきたのは、人々に消費を促す企業だからです。
そうした依存体質によって、人は無力感を持ち、無知にもなります。
商業的動機に対する異議申し立て
商業的な動機に動かされないとは、あえて手作りしてみるということ。
それは経済的な意味だけではなく、時間の使い方を見直すということでもあります。
それは家庭で過ごす時間を大切にすることになるからです。
料理は現代の暮らしでは希少になった、自分の力で働き、食を提供することで人を支え、自分も支えられるという稀な機会をもたらす。これが「生活する」ということでなければ何がそうなのだろう。
手づくりする生活は、個人としての生き方とも直結する行為です。
愛する人のために、美味しくて栄養のあるものを用意することほど、利己的でなく、暖かで、有益な時間の過ごし方があるだろうか。
料理は特に手作りする喜びと意義を感じやすい時間です。
環境問題など自然との関りを考えるなら、キッチンが最も適切な場所とも言えます。
本来のバーベキュー、煮込み料理の良さ、パン作りの楽しさ、発酵による変化。
実際に作った過程とレシピも紹介してあります。
単なる料理本とは違った、様々なことを考えさせられる本でした。










